大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和37年(ワ)4248号 判決

原告 X

右訴訟代理人弁護士 今野勝久

同 黒田清隆

被告 Y1

〈外四名〉

右被告五名訴訟代理人弁護士 宮沢邦夫

右訴訟復代理人弁護士 田中裕

右被告江馬務訴訟代理人弁護士 蓮田武

主文

原告の被告等に対する第一次請求はすべてこれを棄却する。

原告の予備的請求にもとずき、被告Y1は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和三九年四月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

予備的請求中のその余の請求は棄却する。

訴訟費用は原告と被告Y1との間においては、原告に生じた費用の三分の二を被告Y1の負担とし、その余は各自の負担とし、原告とその余の被告等との間においては全部原告の負担とする。

この判決は、原告において金二〇万円の担保を供するときは、原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の申立

原告訴訟代理人は第一次請求として「被告五名は各自原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和三七年六月一〇日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、予備的請求として「被告Y1は原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和三七年六月一〇日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告Y1の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。

被告等訴訟代理人は、第一次請求に対し、主文第一項同旨及び「訴訟費用は、原告の負担とする」との判決を求め、被告Y1訴訟代理人は予備的請求に対し、「原告の請求を棄却する」との判決を求めた。

≪以下事実省略≫

理由

一、原告の被告等五名に対する第一次請求について

原告が昭和六年二月九日出生し、昭和二八年から○○○○病院に看護婦として勤務したこと、昭和三〇年二月被告Y1が右病院に入院し、同年九月六日退院したこと、原告と被告Y1間に情交関係の存したこと、原告が昭和三六年九月○○○○病院にその勤務先を転じたこと、原告が被告Y1宅を数回訪問したこと、被告Y3が被告Y1の父、被告Y4が被告Yの母であること、被告Y1が被告Y5の仲人で被告Y2と婚姻し、昭和三七年二月七日その届出を了したことは当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、≪証拠省略≫に弁論の全趣旨を綜合すると、原告は郷里の○○県○○○の高等女学校を中退後、看護婦となり、昭和二八年三月上京して○○○○病院に勤務していたところ、昭和三〇年二月頃被告Y1が自然気胸のため右病院に入院して来て原告が同被告を看護するうち、間もなく原告と被告Y1は親しくなり、同年五月末頃からはしばしば二人で外出、散歩したり長時間相語らうほどになり親密の度を加え、同年九月七日頃被告Y1は退院することとなったがその二日前頃、二人で多摩川へ遊びに行った際、被告Y1は原告に対し、「自分は身体も弱いから、看護婦をしている君と結婚したい」旨述べて結婚の申込をし、情交関係を求めたので被告Y1に対し少なからぬ愛情を抱いていた原告はこれに応じたこと、更にその二日後に被告Y1が退院したとき原告は新橋まで同被告を見送ったが、その際新橋の明治製菓において被告Y1は重ねて身体の回復次第結婚したい旨述べたこと、その後も原告と被告Y1はしばしば会って情交関係を継続していたこと、原告は被告の体力から考えてしばらくは結婚できないことを承知していたので、右体力回復後速やかに結婚することを熱望し郷里の母や親戚にも被告Y1との婚姻の約束を知らせていたこと、昭和三三年夏頃原告は姙娠したので被告Y1に打ちあけたところ、同被告は二人の仲はまだ公然でないから今回は中絶してくれと極力懇願したので、最初はこれを拒絶していた原告も遂に折れて中絶したこと、その頃から原告は早急に結婚式を挙げて結婚するようにたえず被告Y1に要求したが、同被告はその都度、結婚式には費用がかかる等の経済的理由をあげてもう少し待ってくれとか来春は結婚する、来秋は結婚するとかいって原告の要求に応じなかったこと、原告は昭和三五年暮頃再度被告Y1の子を姙娠し、またその頃、あまりにも結婚の後れているのを心配した母がその件で上京すると云って来たので、原告は被告Y1に姙娠の事実を打ち明け、原告の母親にも会ってくれるようにたのんだのに対し、被告Y1は再び姙娠中絶を原告に要求したので、原告は強くこれを拒絶したけれども、被告Y1が、中絶をすれば、原告の母親に会う旨述べたため、遂に原告も母親が上京すれば被告Y1も結婚にふみきるものと思いやむなく再び中絶したこと、昭和三六年一月三日頃原告の母が上京して被告Y1に会見し、同女が被告Y4に会いに行く旨述べると、被告Y1は自分が先に被告Y4に原告との関係を打ち明けるから待ってほしい旨述べたこと、その二日後被告Y1は原告と原告の母に対し、被告Y4が原告との結婚を反対した旨述べ「母がこんなに強く反対すると思わなかった」と云って困惑の表情を示し、原告の母に原告と駆落ちをしてもよいかなどとまことしやかに述べたので、原告の母は被告Y1が長男であり一旦出てもいずれ家に帰る身であることからあとのことを考えて、今まで待ったのであるから半年位は待てるからその間に善処してほしい旨述べ、これに対し被告Y1は昭和三六年中には必ず結婚できるように努力するから安心して貰いたい旨述べたこと、原告と被告Y1は結婚後の生活につき話した際、被告Y1は、給料の半分位は、被告Y4に小遣い等として渡さなければならないので、結婚後も共稼ぎしてほしい旨述べるとともに、原告の勤務していた○○○○病院は社会福祉病院で柄のよくない患者が多いからもっと高級の病院に勤務先を変えるよう指示したので原告は昭和三六年一〇月一日○○○○病院に移ったこと、被告Y1は昭和三五年五、六月頃原告の求めに応じてオパールの指輪を買い与え、また原告が買った食器類の代金額を原告に交付したことがあること、昭和三四年頃被告Y1は藤島静子や原告に対し、いずれ結婚するのだから原告に化粧品店を経営させたい旨述べたことがあること、原告は昭和三四年四月頃から数回両親と同居していた被告Y1を自宅に訪問したこと、しかし被告は、両親には原告との結婚の約束を前記昭和三六年一月頃までは打ちあけず、原告に対しても、「親に知られては困る、親は僕を神様みたいな息子だと思っているんだから」等といって、極力原告との関係を被告の両親に知られないように行動に気をつけるよう常に注意をしていたこと、昭和三六年三、四月頃○○○○病院の看護婦長である佐藤静乃が、原告と被告Y1の交際があまりにも長いのを心配し、同病院の事務長神山丹次と二人で被告Y1に会い原告と結婚をするよう勧めた際、被告Y1は原告とはつり合いがとれない等といって結婚話から逃げるような態度を示したこと、しかし、被告Y1は原告に対しては昭和三六年一月以降は、結婚にふみきれない理由として被告Y4が反対していることをあげていたので、原告は第三者に被告Y4を説得して貰うことを考え、再三被告を促し、かつて原告の上司であり親しい間柄の浜西ふく江に被告Y4の説得を依頼せしめたこと、そこで右浜西は昭和三六年五月頃、被告Y4に原告と被告Y1との結婚を許してやってほしい旨説得したが、被告Y4は真向からこれを拒絶したこと、その後も原告と被告Y1は交際をつづけていたが、同年一〇月二〇日頃から被告Y1の原告に対する態度は急に冷淡になり原告を避けるようになったこと、同年一一月三日佐藤静乃の部屋で原告と被告Y1が会ったが、その際原告の友人中村高子、佐藤静乃、被告の友人花崎某等が立会い、右花崎から被告Y1の別れ話を原告に持ち出したこと、しかし原告はこれに応ぜず、原告、佐藤等は被告Y1のそれ迄の言動から被告Y1の別れ話の原因が原告Y4にあるものと考えて被告Y4を説得しようと考え、被告Y1、花崎、中村とともに同日被告Y4に会見し、同被告を説得したが、同被告は頭からこれを拒絶したうえ、被告Y5の仲人で被告Y1の縁談がまとまり結納取交しの日が間近い旨述べたこと、被告Y1と被告Y2は昭和三六年春頃、見合いをしたが、その時には被告Y2に結婚の意思なくそのままになっていたところ、同年一〇月頃この縁談が被告Y2の熱意により急にまとまったものであること、原告やその知人等が仲人の被告Y5に対し電報や手紙等を出して原告の立場を知らせ、極力被告Y1の結婚を阻止しようとしたが奏効せず、被告Y1は同年一二月被告Y2と挙式し、昭和三七年二月六日その届出を了したこと、被告Y1は学生時代から某女と情交関係をもち、原告との情交関係を生じた後も、しばらくの間同女との関係を続けていたこと、被告Y1については勤務会社においても、前記入院中も女性関係について香しくない噂があったこと、被告Y1は昭和三一年ないし昭和三二年頃、勤務会社の同僚片岡稔に対し、原告と結婚する意思はないが、急には別れがたい等といって胸中を打ち明けていたこと、被告Y1は本訴における本人尋問において、当初から原告と結婚する意思が全くなかったと述べていることを認めることができ、右認定に反する≪証拠省略≫によっては未だ右認定を左右するに足りないし、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

ところで身分関係の一たる婚約は結婚当時当事者双方が真実将来結婚する意思を有していたことを要件とすることはいうまでもない。しかして、本件において、右認定事実によれば、被告Y1は原告に対し結婚の申込をして原告と情交関係を結びその後も常に将来結婚する旨述べ且つその意思を明らかにするような行動をもとって原告の歓心をかいながら情交関係を継続していたことは明らかであるけれども、他方被告Y1は当初から原告と結婚する意思を有せず、さりとて原告との情交関係を断絶することにも未練が残り、原告からの結婚の要求に対し、その意思とはうらはらに将来結婚する旨述べ、また原告の歓心を買うような行動をとってその場その場を糊塗しまた、結婚にふみきれない理由として昭和三五年頃までは経済的理由を、昭和三六年に入ってからは被告Y4の反対を掲げ、原告等が被告Y4を説得しようとすると、被告Y4が反対することが確実であることを予想し確信して原告やその知人を被告Y4に会見せしめていたものであると認めるのが相当である。

(上記認定した事実以上に出て被告Y1の婚約意思を認めるに足りる証拠はない。)

よって原告と被告Y1間の婚姻予約の成立を前提とする原告の被告等五名に対する第一次請求はいずれもその余の点について判断するまでもなく失当である。

二、原告の被告Y1に対する予備的請求について

前顕各証拠によれば上段認定のとおりの各事実が認められる。そして右認定事実によれば、被告Y1は真実結婚する意思がないのに拘らず、あたかもこれがある如く装い、昭和三〇年九月初め頃原告に対し結婚してほしい旨申出て、そのことを信じた原告と同日情交関係を結んだのをはじめ、その後原告の結婚の要求に対し、結婚の意思の固い旨確言しながら経済的理由や被告Y4の反対を理由として暫く待つよう申し向けて原告をその旨誤信させ、原告と数年間にわたり情交関係を継続し、原告の貞操を侵害し、原告に甚大なる精神的苦痛を与えたことが認められる。よって被告Y1は原告に対し右精神的損害を賠償すべき義務がある。

そこで慰藉料額について判断する。

被告Y1本人尋問の結果によれば、同被告は早稲田大学応用化学科を卒業後○○○○化粧品会社に入社し現在宣伝部の制作課長兼学術課長の職にあり月額手取三万五〇〇〇円位の俸給の他、毎年右給与の四ヵ月分位の賞与を支給されていることが認められ右認定を動かすに足りる証拠はない。そして右認定事実と、上段認定の原告の地位、原告と被告Y1の情交関係発生の経緯、その期間ことに原告の結婚適令期間ともいえる二三才から数年にわたって情交がつづいたこと、原告が二度まで被告Y1の要求により姙娠中絶をしていること、その他諸般の事情を考慮すれば、慰藉料額は金一〇〇万円をもって相当とする。

従って被告Y1は原告に対し右貞操侵害の不法行為による慰藉料金一〇〇万円及び予備的請求の申立がなされた本件第九回口頭弁論期日の翌日である昭和三九年四月一七日から右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

三、結論

以上のとおりであるから、原告の本訴請求中、被告等五名に対する第一次的請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、予備的請求については、一〇〇万円及び昭和三九年四月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で正当であるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行の宣言につき商法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 竹田稔 岡崎彰夫 裁判長裁判官田中宗雄は転任につき署名押印することができない。裁判官 竹田稔)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例